2011 九州〜屋久島
2011年7月3日 出発


天気:曇り
距離:65km
移動:横浜→有明

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今日は東京港(有明)18時発のフェリーに乗る。 出港1時間前の17時に着けば良いので、その2時間前に家を出発すれば間に合う。 今日は日曜日ということを勘案して、余裕を持って14時出発することに。 と言っても、朝の時点で用意が終わってなく、結構バタバタで汗だくの状態。
梅雨の最中なので、天気が心配だったが少し晴れ間も見せるような天気だった。

出発

順調に進んで2時間で台場に到着。 50cc だと臨港トンネルもレインボーブリッジも通れないので勝鬨橋まで行くことになるのかな。 125cc で良かった。
時間が早いので、少しだけ海沿いを散歩した。

台場

有明のフェリーターミナルビルに入って、受付をする。 今は無き東京〜苫小牧航路の看板が残っていた。 地震の影響で大洗〜苫小牧航路が3ヶ月ほどここから出ていたので、1ヶ月前まではある意味現役だったのかもしれない。

看板

フェリーターミナル内は閑散としている。 窓口に向かうと、受付は16時15分からと書いてある。 珍しく早く着きすぎたようである。 しばらくターミナルをうろうろして、お店がないか探したりする。 コンビニどころかお土産屋もない。 苫小牧のターミナルは売店がいっぱいあって賑やかなのに、東京の方が寂れているとは。

ターミナルから

受付を済ましたので、コンビニかスーパーまで買い物に行く。 今日の夕食と、明日1日分の食事と。
有明付近のコンビニを探したが、駐車場のあるコンビニは見つからない。 どこもビルの2階やホテルの中にあって、困った状態。 結局警備員に断りを入れて車の通路に止めさせてもらい、ホテル内のコンビニで買い物。

コンビニ

ターミナルに戻ると乗船が始まっていた。 災害派遣の帰りの自衛隊車両がほとんど。 この部隊は、西部方面後方支援隊の本隊みたいである。 佐賀県の吉野ヶ里まで戻るみたい。 ご苦労様、と声には出さなかったけど、心の中で感謝して。

災害派遣車両

カジュアルルームの大部屋は満室だったみたいで、2人用の個室に入れられた。 この後乗客が増えれば相部屋になるみたいだけど、多分来ない気がする。 トラックの運転手と自衛官以外は、10人ぐらいしか乗ってないし。
出港までに時間があったので、汗だくの体をお風呂でさっぱりして、のんびりする。 程なく出港の汽笛が鳴り、暮れかかる夕刻の中、動き出した。 定刻通りの出港のようである。

出港

出港してすぐに特徴的な形をした東京ゲートブリッジをくぐる。 少し前にタモリ倶楽部で完成前の東京ゲートブリッジを歩いたりしていた。 この特徴的な形は、下は船が通り、上は飛行機が通る理由でこうなったらしい。

東京ゲートブリッジ

明後日の朝まで、しばらく船の中である。 ヒマでしょうがないのだろうけど、それ以上に外洋に出たときの波が気になる。


今日の一言

関東地方から九州に行くフェリーの選択は、この東九フェリーしかない。
6年前ぐらいだったら、川崎から宮崎に向かうマリンエキスプレス、 横須賀から大分に向かうシャトル・ハイウェイラインがあったのだけど、 今はどちらもなくなってしまった。 いつか利用しようと思っていたし、家からだと有明よりも川崎や横須賀の方が近いので、 無くなって非常に残念であるし、利用しておけば良かったと後悔している。

飛行機もフェリーも石油に依存している部分が大きい。 この先石油が暴騰した場合、飛行機やフェリーの価格は上がり、路線の廃止も増えるかもしれない。 のんびり船で旅行するなんて、また贅沢な旅になってしまうのだろうか。


Tatsuyoshi 21st Project
by Tatsuyoshi